栗の椅子|木製椅子|木工家具職人|松岡茂樹blog|2015,11,15

オーダー家具|無垢家具|職人の工房【KOMA】

ダイニングチェア|木製椅子|koma.jpg

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2015,11,15/嬉しいこと





感謝する人たち3のつづき。


結果か過程か?

やっぱり結果が全てだと思う。

結果が出ないのは過程が悪いから。
結果が出せたのは過程が良いから。

それ以外に無いと思う。

結果が全てだけど、出た結果に対して満足もしなけりゃ失望もしない。
ただ反省と改善をするだけ。

んで、次に繋げる。

どんなに上手くいっても100点は絶対にない。
運やタイミング。
そういったものをひっくるめて一つの過程だ。
その過程の中に必ず反省点がある。
そう言った意味で過程が大切なのだ。

満足すると反省点を探そうとしなくなる。
それ以上の成長は望まないってことだ。

だから、どんなに褒めてもらっても絶対に満足しない。
1%もしない。

成長を求めるなら
目標は高ければ高いほどイイ。
すると当然、自己採点は低くなる。
満足なんてしてられない。


今の俺は自分の目標に対して15点くらい。
だからヤルしかねえ。


成長の一番の敵は満足だと思っている。

家具を作っていても必ず探す。
どこまで細かく突き詰めていけるかだ。
あの時のカンナの一削り。
加工の順番。かかった時間。
全部思い起こして反省する。
次はゼッテエ繰り返さねえと誓う。

それでも毎回新たな反省点は見つかる。

だから少しづつでも確実に進歩する。



別に苦しくもなければ楽しくもない。

時折ほんの少しだけ「嬉しい」を感じれるだけだ。

しかし、この「嬉しい」っていうのは特別だ。
中毒性がある。

ほんの少しでもまた味わいたくなる。

ジャンキーになってしまう。


どんなに時間を費やしてでも欲しくなる。

命と交換でもイイなんて思えてしまう。


最近の自社製品の中でのお気に入りは上の写真[sim chair]だ。
無駄な部品も加工も無くシンプルである。
だから量産体制も採れて価格的にも熟れている。
それでも背もたれや座面などの身体が直接触れる部分は
職人の手仕事で複雑な3次曲面を創りだしている。
熟練の技と生産性を上手く合わせられていると思う。
実際に手を動かして造れる人間にしかデザイン出来ない椅子であると思う。

が、完璧ではないはずだ。
そこを探す。

改善を繰り返して、もっと良い椅子が創りたい。
もし創れたら、喜んでもらえるからだ。
そして俺も嬉しいからだ。

だけど、最低でも一年は掛かる。
もしかしたら十年かかるかもしれない。

だから思う。
明日それらが解決して[sim chair]を超える製品が創れるなら、
本来それにかかる俺の命の時間と交換してもイイ。

だって俺はサイコーな家具を作る為に生きているからだ。


俺は38歳。
一つの家具を創るのに38年掛けて創ったと思っている。
普通の職人の10倍突き詰めた15年の職人生活が創っていると思っている。

沢山の駄作から一つの秀作が生まれる。

だから「嬉しい」が得られる。

でも一瞬でいい。
「乾杯!やったね!」
で終わりで良い。
歓びに浸るのは何の意味も無い。
次の嬉しいが欲しい。



そんな「嬉しい」はプロであるからこそ得られる感覚だと思う。
命を張ってるから得られる感覚だ。

仕事って言うのは手段じゃない。
金を得るためじゃない。
子供を育てる為じゃない。
家族を養う為じゃない。

んなコトはやって当たり前だ。

魂を燃やせるステージのことを仕事って言うんだと思っている。


スケボー、スノボー、サーフィン、バイクetc
いろんな趣味を持っているが、どれもプロだけが得られる本当の喜びを味わう事は出来ない。

趣味にはプレッシャーや責任が無い。突き詰める苦労を知らない。
そして、その結果得ることが出来た技術が無い。
だから、本当の喜びには至らない。

誰も滑っていないパウダースノーの頂きに立った時、声が出ちゃうくらいのヤバイ興奮を得られるが家具を創る時はもっとある。

そして嬉しいがある。

それは、俺が家具づくりのプロだからだ。


そんな感覚をウチの若い衆達と共有出来たらなあ。

と思う今日この頃である。



「ウチの若い衆」につづく。