松岡茂樹|木工家具職人|KOMAblog|2015,9,25

オーダー家具|無垢家具|東京の家具工房【KOMA】

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2015,9,25/感謝する人たち1



「器用とぶきっちょ」のつづき。


感謝してる人は、挙げればキリがないほどいる。
360°どこにも脚を向けて寝れない。
もう立って寝るしかない。

なのでこの場では自分の「ものづくり」に対して影響をあたえてくれた人にしぼる。

まず最初の人は
高校2年、3年の時の担任「宮道先生」当時40ちょっとくらいの美術の先生だ。
背の高いイケメンだった。

俺は別にグレる訳でもなく中途半端なただのバカだった。まさに上の写真。

一年生の時から少しイタズラが過ぎて2年に上がる時は誰も俺の担任をしたがらなかった。
そんな中、「アイツは僕が2年3年と受け持ちます!」と言ってくれたのが宮道先生。

かといって、素行が直る訳でもなく、その後も学校に刑事が来て連行されたり、無免許で捕まったり、バイク事故を起こしたり、しょっちゅう補導されたり。。
ただのバカで停学になった。

生活指導や教頭なんかは「もう退学だ!」「学校に義理やしがらみはないのか?!」などなどさんざん言わてた。
「うるせえなあ」って俺が言うより少し早く「もう一度チャンスを!」宮道先生が彼らに何度も頭を下げて謝ってくれた。

校長室を出て夕暮れの薄暗い廊下を黙って二人並んで歩いていると肩を組まれた。
穏やかな声で言われた。
「何も気にしなくていい。うるせえって思っていればいい。ただ、自分の美意識だけは大切にしろ」
そっぽを向いて「うるせえな」って返した。
肩に置かれた手からやわらかい表情が伝わってきてそのまま黙って歩いた。

子供の頃は絵が得意でよく地元の美術館に飾ってもらってた。
区から画材が送られてくるのが楽しみで、いつも絵を描いたり作ったりしていた。

そう言えば美術かあ。。なんとなくそんな事を考える瞬間だった。



卒業後、親父から「就職するか、進学するか、出て行くか」の三択を与えられ実家を出る。

電気もガスも水道も全部止まってすげえ貧しかった。笑
オンボロの木造で冬は家の中でも息が白かった。
公園に水を汲みに行っていた。
当然家賃も滞納してヤベエそろそろホームレスだな。。なんて思ってた。

隣の一軒家が大家の家でたまに晩飯なんかを持ってきてくれて感謝している。
でも、しょっちゅう勝手に合鍵を使って入ってきては説教された。
「昼まで寝てなにやってるんだ!」とか「こんなに散らかして!」とか、ほっといてくれよ!っていう内容ばかりだったがある日、前から気になっていた天井のシミについて聞いてみた。
俺の前は美大生で、デッサンなんかを天井に貼ってた痕らしいことが分かった。

宮道先生の顔が浮かんで、何だかいてもたってもいられなくなった。

次の日、美術予備校に潜り込んだ。勝手にイーゼルとスツールを置いて授業を受けた。
何も知らない講師達は「君!絵心あるね〜!」と褒めてくれた。
その後も毎日通ったったが名前なんかも覚えられちゃっていいかげんヤバいな〜。。。
そうっと消えた。

数ヶ月後、美術の学校に行かせてほしいと親父にお願いしに行った。

「生んだ責任があるからなあ。俺にしか出来ない事は協力してやる」の返事がもらえた。

そこからが今のものづくりに繋がるスタート。

その学校で現在komaの専務である亀井とも出会うことになる。

もし宮道先生が美術の先生じゃなかったら違う仕事をしているかもしれない。


だからまず最初の人だ。



感謝する人たち2につづく。